ズィビレ・ベルグマン「記念碑」展を見て

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ズィビレ・ベルグマン「記念碑」展を見て

昨年11月のヨーロッパ取材旅行の旅程を振り返ると、11月14日に成田を出発し、パリフォトが開催中の11月15日にシャルル・ドゴールに到着。そのままパリフォトへ向かい、翌日の16日はPolycopiesや様々なギャラリーや美術館巡り、17日にオランダのFOAM美術館、ロッテルダムのFENIXとDEPOTをまわっていた。そして、夜にLCCでスペインに移動し、19日にプラド美術館、ティッセン=ボルミネッサ美術館、ソフィア王妃芸術センターを訪れた。

パリ滞在2日目に訪れたアンリ・カルティエ=ブレッソン財団の美術館では、ズィビレ・ベルグマンの「記念碑」シリーズを見た。

作家の紹介を読まずに写真を見はじめた。そのため、この下の1枚は「ベルリンの壁が崩壊した後、彫刻を解体している様子を捉えた写真なのか?」と最初は思った。が、そうではなく、彫刻を設置している最中の写真だったのだ。

東ドイツ写真界を代表する存在であるズィビレ・ベルゲマン(1941–2010)は、DDR(ドイツ民主共和国)での生活を見つめる、明晰でメランコリックな眼差しで知られ、その狭い自由の空間と絶え間ない変化を探求しました。壁崩壊の前後を通じて、ベルリンという街は彼女の最も好んだ被写体のひとつでした。また、多くのポートレートや型にはまらないファッション写真でも高く評価されました。ベルゲマンは、パートナーのアルノ・フィッシャーとともに暮らしたいくつものアパートを活気ある交流の場へと変え、当時のアートシーンの活性化に貢献しました。

1975年から1986年にかけて、ベルゲマンは東ドイツ政府が計画したカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの記念碑の制作過程を記録しました。当初は非公式に始まったこの記録は、1977年に文化省から正式に委嘱されます。11年間にわたり、ベルゲマンは1986年4月4日の除幕式に至るまで、制作のあらゆる段階を撮影しました。記念碑そのものと同様、この委嘱は政治的な性格を帯びたものでしたが、ベルゲマンはその主題を独自のものとし、個人的でひそかに体制を覆すような作品を生み出しました。厳密な視覚言語を用いて、ベルゲマンは検閲を巧みにかわしながら、体制の緩やかな崩壊に対する簡潔ながらも紛れもない批評を提示します。イデオロギーと芸術の交差点に位置するこのシリーズは、権威主義国家の政治的・美的要求に直面した写真家の自律性を物語っています。ベルゲマンの最も象徴的なシリーズであり、この時代の重要作である《Le Monument(記念碑)》は、本展でその全貌が紹介され、彼女のアーカイブから選ばれたプリントや資料——その多くは初公開——とともに展示されます。
ソニア・ヴォス
キュレーター

このようなキュレーターの言葉がなければ、写真家が彫刻の設置される様子を肯定的に捉えているのか、それとも批評的に見ているのか、正直、私には分からなかった。言葉なしのイメージは誤解を生みやすい?

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5回目の写真の会

5回目の写真の会

1988年に木村伊兵衛写真賞の結果に納得しなかった人々が発足した「写真の会」の第36回選考会が池袋のとしま産業振興プラザで開かれた。今年は、生井英考さんが出張だったため立教大学の講義室をお借りすることができなかった。この「としま産業振興プラザ」は、2022年にカリフォルニア在住の写真家・兼子裕代さんが受賞された第32回と同じ場所である。私が初めて写真の会に参加した年、鈴木一誌さんがオブザーバーとして参加され、紺色に金字の柔らかい素材の紙に印刷した名刺をくださったのを覚えている。 過去に女性の参加者はいたのだけれど、数年で辞めていってしまう方が多いので「なるべく長く参加しよう」と思い、今年で5回目の参加になった。事前にスプレッドシートにノミネート作品を(無制限に)挙げることができるが、去年と今年はスケジュール的に厳しかったため会場でノミネート作品について喋ることにした。この会に参加するのは、「作品の良さや面白さについて喋りたい」「他の人が良いというものでも、納得できなかったら、なぜそう思うか共有したい」の2点の理由だ。つまり、写真を深く語る場として、楽しめるのだ。 私はブログをコロナ

By Emi Kawashima