5回目の写真の会
1988年に木村伊兵衛写真賞の結果に納得しなかった人々が発足した「写真の会」の第36回選考会が池袋のとしま産業振興プラザで開かれた。今年は、生井英考さんが出張だったため立教大学の講義室をお借りすることができなかった。この「としま産業振興プラザ」は、2022年にカリフォルニア在住の写真家・兼子裕代さんが受賞された第32回と同じ場所である。私が初めて写真の会に参加した年、鈴木一誌さんがオブザーバーとして参加され、紺色に金字の柔らかい素材の紙に印刷した名刺をくださったのを覚えている。
過去に女性の参加者はいたのだけれど、数年で辞めていってしまう方が多いので「なるべく長く参加しよう」と思い、今年で5回目の参加になった。事前にスプレッドシートにノミネート作品を(無制限に)挙げることができるが、去年と今年はスケジュール的に厳しかったため会場でノミネート作品について喋ることにした。この会に参加するのは、「作品の良さや面白さについて喋りたい」「他の人が良いというものでも、納得できなかったら、なぜそう思うか共有したい」の2点の理由だ。つまり、写真を深く語る場として、楽しめるのだ。
私はブログをコロナ禍に書いていたのがきっかけで、ライターになった。芸大や美大、写真学校も出ていない。そのため、先輩後輩のしがらみもなく、学校で教わるいわゆる「いい写真」も全て知らないし、網羅的に写真史を知っているわけでもない。でも、自分の好みで様々な写真展はこれまでも見てきた。
私が思い出せる範囲内で、初めて見た写真展は2012年に熊本市現代美術館で開かれた「篠山紀信展 写真力」だ。写真の定義をゆるくすると、同美術館が2003年に企画したマリーナ・アブラモヴィッチとウーライのパフォーマンス・アートの写真も見ていた。私は世代的にSTUDIO VOICEがまだ休刊する前に、学校の帰り道に立ち読みができた。CUT、SCREEN、地元のファッション誌NO!(のちに東京に編集部が移動しTOKYO GRAFFITIになる)もよく読んでいた。私より年下の国立近代美術館の小林紗由里さんに「何らかの雑誌経由で写真の世界に来ましたか?」と尋ねると、「横浜トリエンナーレや近美の奈良原一高の展覧会です」とおっしゃったので、「そうだよね〜」と思った。もしかしたら、雑誌を経由せずに、展覧会や国際美術展がアートや写真の入り口になる世代は「展覧会にアクセスしやすい人たち」が有利になってしまうかもしれない。(その辺は誰の責任でもないけれど、世の中の流れだよね......。)
一方で、そう考えていること自体が、「間違い」なのかもしれず、Xやインスタ、TikTok、YouTubeで写真文化に入ってくる人だっているかもしれない......。
写真の会のメンバーは、それぞれ、立場が違うので、見ているものや「いい」と評価する軸が全く異なっている。オタクやサブカルチャーの分野に詳しい沖本尚志さん、文芸と人間(のどうしようもなさ)の軸から語られるタカザワケンジさん、ドイツの写真文化やデザインに明るい深川雅文さん、現代アートの文脈で写真を語る北桂樹さん、学芸員としてバランスの取れた発言をされる小林紗由里さん、関西在住で写真を熱心に見ていらっしゃる会社員の福田慎一さん。今回は参加されなかったけれど、いつも誰も気づいていなかった写真表現を紹介してくださるデザイナーのアイハラケンジさん。同じく欠席の井鍋雄介さんも琴線に触れる写真集を静に語られる。藤村里美さんも優しい口調で、熱く語られるので、とても勉強になる。
ちょうど、先ほど第36回の写真の会の受賞者が発表された。昨年の審査会から、「写真がうますぎる」と噂になっていた落合由利子さんに決まった。受賞、おめでとうございます。
写真の会は、第36回写真の会賞審査会を2026年7月19日(土)に開催し、同賞を作品「東欧 1989 EASTERN EUROPE」、「CORNEREVAROMANIA 1991」、「絹ばあちゃんと90年の旅」[作者:落合由利子]に授与することを決定いたしました。
写真の会の後の反省会で、賞は決まったけれど、語られるべき作品はたくさんあるという話になった。私は、いつもは10票を1人に入れるという極端な作戦に出るんだけれど、ホワイトボードに名前が残るように、リスペクトする写真家に票を入れようと、いつもの戦略通りではなく、票をバラして複数の人に投票した。